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WILD HEARTS REVIEW

トライバル・サイケデリック音楽プレイヤー・KAYA/Gypsy Eyesの

ROLLING LOVE&LIFE

…ディジュリドゥ、ネイティブ・アメリカン・フルート、JIMI HENDRIX、サイケデリクス、etc.

昨日は街歩き&美容院&秘密の遊び(うふ♪)なんかでいちんち遊び回ってました。
が。
どうやら、ちょっと遊び足りなかったと見えて、帰ってきてから、またまたヴァニラちゃん=iBookと遊ぶ。
(昔はこんな日は昼からカフェ~でビールとか飲みだして、夕方~夜、とアルコール浸かりだったからね、体力余ってるらしいよ。)

「デジタルの時計」を「アナログ」にしたら、小さな小さな丸い時計になって…はぁ~(はあと)
ウィリアム・ブレイクの「一粒の砂に宇宙を見る」なんて言葉を思い出したり。

はっ!
これって三昧境の入り口なのか?
開いてないようで開いているプログラムたち。
「精神の生み出すモノに限界はない」というティモシー・リアリー博士の言葉がリアルに感じるグラフィックや仕掛けたち。

そっか~appleの開発者たちって、現在でもリンゴの木の下で瞑想したり、砂漠でトリップしたりなんかしながら仕事してるっぽいと思ったけど、マッキントッシュは禅装置だったのか。

サイケ禅。
いまこの言葉を開発しました。
わたし以外にこの言葉を使ってる偉人とかいたら教えてネ!

今日は冬至。
昼が最も短く、夜が最も長い。
昔日のヒトビトは、太陽が衰えて死んでゆく、と考えた。
もう一度太陽を蘇らせるための、セレモニーが各地に残されている。

「ネイティブ」、「儀式」、「冬至」でサーチしたらいろいろ出てきたけど、マヤが登場だ。

メキシコ・ユカタン半島のチチェン・イツァ遺跡、ククルカンのピラミッド。
ククルカン(Kukulkan)は羽毛の生えた蛇の姿の神、アステカ語ではケツァルコアトル。
このの神殿は、チチェン・イツァで最大で、最も重要な儀式が行われた。
ピラミッドの構造はマヤ暦に関する正確な情報をコード化している。
ピラミッドの北西および南西の角を通って走る軸は、夏至および冬至の際の太陽のポイントを示す。
北の階段は頂上に通じる主要な神聖な通路であり、春・秋分の際の日没では、太陽の光によって、美しい陰影を映し出す。

これは聖地に立つ神社なんだね。
マヤのその他の遺跡もレイラインや天文学的構造を表現している。
行きたいなあ。
冬至にこの遺跡でレコーディングしなきゃね。

北米ニュー・メキシコ州、チャコ・キャニオンにあるアナサジの遺跡にも冬至・夏至に儀式を行ったであろう痕跡がある。
アナサジ(ANASAJI)は岩をくりぬいた集合住宅なのだが、ある時、何故かそこに住むヒトビトは出て行った。
プエブロ族のヒトビトの言葉で「先祖のヒトたち」を意味する。
ここにもレイラインを示す遺跡がある。
春・秋分点を示す岩も。
ここも、良い音がするんだろうな。
なんのエフェクトもいらない響きがすると思う。
行くよ、アナサジも。

わたしの実家では、かぼちゃを食べてユズ湯に入るんだけど、これは日本全国共通なんだろうか。
長い冬の一夜、メスカリータちゃんと秘密の話をしてみたり、瞑想したり、良い夢を見たりして過ごそう。
朝5時半に目覚めてカーテンをあける。
外は真っ暗だ。
少しずつ黎明の兆しがやってくる。
遠い太陽が冷たい大気の中を昇ってくる。
山々が凛とした稜線を見せ始める。

12月21日は冬至。
一年で一番日照時間が短い一日。
冬至までは、朝は遅く夜が早くやってくる。

いにしえのヒトビトは、
「太陽の力が弱ってゆっくり死んでゆく」
と考えたんだね。
その考えはとても恐ろしいものだったろう。
太陽はイノチを育てるスピリットだったから。
太陽の力を取り戻すために、祈り、歌、踊り、供物を捧げて、大いなる精霊に懇願した。
「もう一度、太陽が元気になりますように」
それは、どんな音楽だったろうね。

「陰極まれば転じて陽と成す」
冬至は最も暗い日なのだが、これから明るくなってゆく始まりの日でもある。
かつては、この日を一年の始まりとする暦もあった。
そういえば、MAYAは去年の冬至に活動開始している。

闇のなかでなにかが生まれてくる。
闇のなかでしか観えない精霊に出会う。
闇のなかで静かに眠り、春を想う。
闇のなかで詠う。

冬至まではスロウ・ダウン、ゆっくりゆっくり、世界の美しさについて考えたりしよう。

昨日、アラスカ、クリンギット族のストーリー・テラーであるボブ・サム氏と、天河神社の柿坂宮司によって行われた、今年6/18の日比谷野音での神事イベントのプライヴェート・ムーヴィーを見てきた。

ボブ・サム氏は、ネイチャー写真家の故・星野道夫氏の著書で紹介された、「ワタリガラスの神話」を語る人物だ。
スピリチュアルな生き方の探求として語りを続ける氏だが、著書で紹介されたことにより、映画に出たり、シンプルであった生活が一変してしまったそうだ。

「Don't be afraid to talk about the Spirit!」
(スピリットについて語ることを怖がるな!)
ワタリガラスの神話の語りでの、この言葉が痛い。

怖いんだよ、スピリットっていうのは。
呼ばれるっていうのは、有頂天になるようなことじゃない、きれいごとで片付かない。
ためされる、
やらされる、
おとされる、
そして、救われる。

つらい旅だぜ、ボブ…。
だけど、誰よりも魂に磨きのかかる道だろう。

この神事イベントは6/18。
自分が大怪我で入院したのが6/20夜明け。
そして夏至の6/21には、富士山でLakota族のリーダー提唱による平和の祈りの大イベントがあった。
音楽関係の知人、仲間が大挙して参加している。
怪我をしていなければ、参加していただろう。
だが、足止め。
そして、夏至は大嵐だったのだ。
時系列的に起こった関連する出来事には意味がある。

自分にとって6月の大怪我の意味、ここ数年の恐ろしいほどの疾走感、長年のパニック・ディスオーダーと鬱の理由…一気にいろいろなことが 、熊野の大斎原でストーリー・テリングを個人的な祈りとして奉じるボブ・サム氏の映像を見ているうちに
「わかってしまった」
のだ。

ネイティブ・アラスカンのボブ・サム氏が、日本の聖地で祈りを奉げるとは、いったいどのようなはからいがあるのか。
そして熊野本宮は、伊勢とともに自分にとって特別な聖地である。

怪我以前と怪我以後ですっかり変わったしまった自分のライフ・スタイル。
一昨日は再起を祈ったライブを行ったのだが、楽器と音楽のスピリットは以前よりも身近なものとなったように感じた。

少し泣きました、昨夜は。
あまりに絶妙な天の配剤が少し怖いです。
そして、あまりに美しいHozhoの大いなるちからが
そこかしこに存在することを畏れます…。


そして
Hozho nahashtlei(In beauty,I walk)
…Navajo族の祈りの言葉
トホカミエミタメ…

ネイティブ・アメリカン・フルートはおもにシーダー(杉)で作られる。
どこの土地で育った樹か、
その樹のどの方角から採ったのか、
採る時に祈ったか、
ノミを入れる前に祈ったか…
このようなことが大事にされる。

ラヴ・フルートとの異名もあり、恋のメディスンが大きな意味を持っているが、それ以外にも、病気に対するメディスン、モノを探すメディスン、自分の守護のスピリットと話すためのメディスン…。
マジカルな楽器なのだ。

スケールはマイナー・ペンタトニック、ほぼ一オクターブしか出ない。
その中で、いろいろなテクニックを使って、「呼ぶ音楽」を奏でる。
最初に音を出すのは難しくない。
リコーダーのようにすぐ音が出る。
だが、不思議なことに、新しい楽器ははじめのうち、さしたる理由もないのに音が出にくくなることがある。
時間をかけて、楽器のスピリットと仲良くなると、それは自由自在に鳴り響かせることができる。

画像は、遠い荒野から旅をしてきたロホホラと、Chris Ti Coom製のBmフルート。
そして、小さい方がチェロキー鉱山から出たクリスタル。
大きい方はブラジルの鉱山のレムリアン・シード。
皿はサンタフェより、プエブロの焼き物。

皆、マジックとミラクルのランドからの使者だ。

ディジュリドゥはユーカリの木で作られる。
白蟻が中を喰った後のランダムな空洞が、倍音を出す装置となる。
近頃は、インドネシア製のユーカリ以外の素材のディジュも出回っている。
オーストラリア製のものでも、ニンゲンが機械で中を抜いたものもあるらしい。

循環呼吸。
サークル・ブレス、サーキュラー・ブリージングなどの呼び方をする。
簡単に言えば、息を吸うのと吐くのを同時にやるのだ。
そして、音は10分でも20分でも途切れることなく、鳴る。

「???」
って感じですか?
では、頬をふくらませて息を止めてみてください。
そして、頬の力で口から静かに息を吐きます。
できますね。
今度は、今の動作をやりながら、
「息を吸う」
のです。
つまり、気道はあくまで、吸うために開かれています。

逆上がりや自転車に乗ることが、ある時点で楽々できるようになる、そんな感じで循環呼吸も、練習の末にある日突然、音が繋がる。
その時、世界が変わる。
イメージ・トレーニングとしては、自分と楽器が一体となって、呼吸という名の風が円を描いて回っている感じ。

楽器のキーは一つしかない。
下のAから上のGまでほぼ一オクターブ分の楽器が存在する。
ただし、下のAは相当のマッチョ・マンでないと、演奏はもちろん、持ち運びすら困難だ。
もうひとつ、西洋楽器のようにジャストなキーじゃなくて、微妙にズレがあるものが多い。
「半音高いとか低い」とかあるでしょう、それが「三分の一音低い」とかね。

KAYAのメイン楽器はE。
ほぼジャスト。
長さは140cm。
やわらかめのユーカリなので、さほど重くはない。
このキーはエレクトリック・ギターやベースを合わせやすい。

口腔内の形の操作、舌の動き、声を使う…いろいろなやりかたで様々な音色がだせる。
倍音部分を引っ張り出せば、ある程度のメロディも吹ける、耳を澄まさないと聴こえないけどね。

なり響く管全体が振動し、自分と楽器が作り出す倍音サークルが、広がってゆく。
自分のエナジー、場所のエナジー、お客さんのエナジー、いろいろなエナジーが螺旋状にからまりあい、トランシーな空間が出来上がるのだ。

Jacoのスピリットが、
「俺がイカれちまう前のやつ、聴いてくれよ」
というので。
Weather Report、全盛期に突入開始のアルバムだ。

小娘時代のボーイフレンドがWeather Reportを好きだった。
雨の日でどこにも出かけない日には、よく二人で聴いたものだ。
嫉妬や思わせぶりや喧嘩、そして仲直り。
あれは恋だったのか、ただの発情だったのか。

その時はBGMだったアルバムを今聴くと、音の凄さに背骨に電流が走る。
彼に対してどんな感情を抱いたのかは、もう忘れた。
だがJacoの音色は、あの時に密かに身体と心に焼きついたのだ。

今は恋と発情の違いなんて、よくわかる。
時々は発情し、恋は夢見る心に突然やってくる…。

この数日、何故かジミのことばっかりだ。
久しぶりにこのアルバムを聴いた。
"Heavy'n Jazz"

Jaco pastorius、1986年12月のライブ、その死の9ヶ月前のアルバムである。
共演者はジブシー・スタイルのアコースティック・ギターから、Jacoとの出会いによってエレクトリックを手にしたBireli Lagrene 。

天才ベーシストの名を欲しいままにした彼は、精神に異常をきたし、精神病院の入退院を繰り返す。
ストリートで独り、狂ったとしか思えない演奏をしていた、とも伝えられる。
そんな時期の作品。

曲名は

1 Broadway Blues
2 Bluma/Smoke On The Water
3 MEDLEY: Purple Haze/Third Stone From The Sun, The/Teen Town
4 Star Spangled Banner
5 Reza
6 Honestly


Weather Report時代、そして全盛期の作品に比べて、酷評されることの多いアルバムなのだが。
精神が壊れてしまったJacoは、しきりに
「Jimi Hendorixは俺なんだ…」
と呟く。
ジミのメドレーの後にWeather Report時代の美しい自曲が入る。
そして、壮絶な"アメリカ国家"。
演奏に満ちているのは死であり、限界を越えてしまったプレイヤーの幻覚であり、救いを求める恋心であるのだ。

ジミのカバーは数あるが、このアルバムを聴くと、冬の黎明の冷徹な空が見える。
世界は寒く、心は崩壊しつつある。
それでも彼は演奏しないわけにはいかなかった。
演奏をやめてしまうことは無に還ることだったから。
12/2blogのジミのイラストレーションは、彼の死に立ち会ったガールフレンド、モニカ・ダンネマンの作品だ。
画集"The Inner World of Jimi Hendrix"、ジミのスピリチュアルな内面が、彼女のアートワークとともに語られている遺作から。

この本を入手して7年程たつのだが、いつ開いても、モニカの情念、執念、そして怨念が香りたつような気分に襲われる。
まるで、遺書を紐解いているような。
2年ぶりくらいに開いたのだが、その気配は一向に薄まっていない。

ジミとつきあった女性たちの中で、モデルでミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズ、エリック・クラプトンなどのスーパー・グルーピーだったデヴォン・ウイルソンと、このモニカの二人だけが、謎に満ちた凄惨な死に方を しているのだ。
デヴォンは1971年、チェルシー・ホテルから墜落死。自殺とも、ドラッグのオーヴァー・ドーズによる事故とも言われている。
モニカは、イギリス時代のジミのガールフレンドである、キャシー・エッチンガムとの名誉毀損訴訟に敗れてから、1995年4月に自殺。それも、車に排ガスを引き込んで。

ジミのバイオグラフィーについての書籍には、さまざまな女性が登場するが、この二人に共通するのは、"怨念"=ジミに対する、強力な支配願望、所有欲、ダーク・サイドの母性。

デヴォンは、ジミが死んだ翌年に後を追うように死んだ。もはやドラッグで内臓も壊れまくりだったかもしれない。
彼女の死はまだ、"ロックスターの女、'60Sの寵児"らしい。

モニカはジミの死後、ドイツのギタリスト、ULI JON ROTHのガール・フレンドになり、アルバムのアート・ワークなどを手がける。
一説には、ジミ・フリークのULIが、ジミの死を見取ったモニカ、ジミの女だったモニカにひとかたならぬ興味を抱いて口説いたとか。

今の言葉で言えば、"ラヴ・アディクション=恋愛依存症の女=ボーダー・ライン症候群"だった。
スーパー・リアリズム的なアートには非常な才能を感じるのだが、サイコセラピックな不安定さが垣間見られる。
遺作では、'80年代のニュー・エイジ的な思想でジミを語っているのだが、ジミ・フリークとしては、ジミは作品で全てを伝えているのだ、感傷的な説明は不要だ、と言いたくなる。

自殺の理由は、訴訟での敗北、金銭的な逼迫などいくつか挙げられているが、ほんとうは、デヴォンとおなじく(時間はかかったものの)後追い自殺なんだろう。

どうせ死ぬのなら、ジミの死の真実を語って欲しかったよ、モニカ。
睡眠薬のオーヴァー・ドーズによる窒息死、が公式のジミの死因になっているが、救急隊の一人が語っている。
「部屋にかけつけた時、ベッドの上は真っ赤な嘔吐物で溢れていた。一人の人間があんなに大量に嘔吐したのを見たのは初めてだったよ」
「ジミの様子が変なの…」モニカは救急車を呼ぶ前に、アニマルズのエリック・バードンに電話をしている。

恐ろしい妄想が浮かぶ。
ジミを永遠に自分だけのものにするには、殺すしかなかったのかい?モニカ。
それとも、二人でラリってしまって、意識が朦朧としていたか。

FBI、CIAの暗殺説まである、ジミの死。

"イザベラ"と"ドリー・ダガー"という曲は、ジミがデヴォンのイメージで創造した。
ジミとデヴォンは、双子のようによく似ていたらしい。
モニカに捧げた曲はない。

ジミもまた、ラヴ・アディクションだった。
だが、ハートはズタズタでも彼のスピリットは強靭で、創造的である。
愛に対する飢えが、死後34年を経てもエナジーが迸る表現を成し得たのだ。

CRY OF LOVE!


太陽の光にキスしよう
すべての心はひとつ

太陽の光の中で
なぜ僕たちはいまだに
たくさんの貴重な夜や昼を
むなしく過ごしてしまうのか…


無垢な頭脳を
権力や偽りのプロパガンダや
刑罰を使って、洗脳していく
若い人たちに告げようとする
誰が遅すぎて
誰が速すぎるのか
誰がいい人間で
誰が悪い人間なのか…
誰が最初に来て
誰が最後になるのか
それについては自分たちだけを
信じろと

人生をゲームにして遊んでいることは
君の子供の目ですら見透かしてしまう
彼女は尋ねる…
「なぜこういう戦争や傷跡は…ずっと前になくなっていないの……」


"ジミ・ヘンドリクスの創作ノート:Cherokee Mist"より

illustration by Monika Dannemann